◆桐壺更衣 |
父は故按察使大納言、母北方は名門の出 |
父は早くに亡くなったが、「自分が死んだ後も必ず娘を入内させ |
我が家系の血を皇統に入れるように」と遺言した。 |
その遺言を守って内裏に一番遠い東北の角、 |
鬼門に位置する淑景舎(別名桐壺)に更衣として入る。 |
そして時の天皇、桐壺帝から溺愛とも見える格別の寵愛を |
独り占めにしたが、有力な後見(父や兄などの地位、財力、政治力)を |
持たない更衣は周囲の執拗な嫉妬を一身に受ける。 |
帝の許へ参上する時、打橋や渡殿の廊下におまるの糞尿を撒かれたり、 |
廊下の板戸を両端から閉じて中に閉じ籠め、外に出られないようにされた。 |
もともと内気で控えめで、腺病質の更衣は病気がちになってしまい、 |
そうなると帝は一層不憫に思われ政も手につかず、 |
さらに常軌を逸した愛を更衣に注ぐようになる。 |
人々はこのままでは、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の例のように |
国が亡びるのではないかとさえ噂するようになった。 |
その後更衣は帝との愛の結晶としての第二皇子(光源氏)を産み、 |
更衣同様、帝の秘蔵っ子として溺愛される。 |
しかしまもなく更衣は源氏三歳の夏、 |
退出した二条の里邸で横死同然に二十三歳位で亡くなった。 |
退出には輦車(身分の高い親王、大臣、女御、僧だけが |
宮城内の門内に用いる車)の宣旨が出され、 |
死後従三位(女御相当)が贈られた。 |
その後、帝の周囲をはばからない落胆振りは、誰もなす術を知らなかった。 |
モデルは一条天皇の寵愛を一身に受けながらも、父藤原道隆の死と |
兄伊周の流罪による失脚で、後見人のいなくなった後、 |
凋落の一途をたどり二十四歳で亡くなった皇后、藤原定子か |
もどる |
◆光源氏 |
桐壷院の第二皇子で |
魔性の美貌の持ち主。 |
両親の悲劇的な愛を負って出生 |
その時、高麗の相人(現在の韓国の人相見) |
から不思議な予言を受ける。 |
皇子には帝王の相があるが、 |
そうなれば国が乱れる。 |
しかし、さりとて臣下で終わる人ではない。 |
そして光君には実子が三人生まれる。 |
一人は天子(冷泉帝)に、一人は皇后(明石中宮)に、 |
もう一人は太政大臣(夕霧)になると。 |
そしてそのとうり、運命的な生涯を歩む。 |
もどる |
◆朱雀院 |
桐壺帝の第一皇子、母は弘徽殿大后 |
源氏より三歳上の兄、二十四歳で桐壺帝の譲位によって即位した。 |
その後、朱雀帝は父桐壺院から、将来は東宮(冷泉)への後援と、 |
源氏をその後見役として重用することを遺言される。 |
猛烈な母に育てられたためか、逆に心優しく、軟弱、謙虚で優柔不断、 |
そのため母や祖父の右大臣の権力欲望のため、 |
彼らに操られる傀儡人生を送る。 |
幼い時から容姿、人望、学問、才芸あらゆる事に |
劣勢の立場に立たされ続けてきた宿命のライバル源氏に |
愛妃朧月夜を寝取られてもなお許し、 |
困ったことにそんな弟を好きなのであった。 |
その上、自分を裏切りつづけた源氏に、 |
最愛の娘女三の宮の将来を託してしまう。 |
その結果、三の宮は不義の子薫を残し二十三歳の若さで出家してしまい |
この結婚は大失敗に終わる。 |
しかしこの事によって六条院は崩壊し、 |
最初から最後まで源氏の負け犬で終わるかに見えた人生に |
決定的な復讐を遂げる事になった。 |
もどる |
◆藤壺 |
故先帝の第四皇女。 |
桐壺院に溺愛された亡き桐壷の更衣に瓜二つだったために入内。 |
才媛で身分も高く、光の君にひけを取らない美しさのため |
世間ではいつか「輝く日の宮」といって、源氏と並びほめそやすようになる。 |
そして五歳年下の義理の息子源氏と密通し、後の冷泉帝が生まれる。 |
このことで二人は生涯罪の意識にさいなまれる |
このまま源氏との関係をつづけてゆき世間に知れると |
わが子冷泉が天皇になれないことを悟ると |
桐壺院の一周忌の法要のすぐあと、 |
源氏との関係を立ち切るため出家してしまう。 |
その後源氏は東宮の後見人になり、 |
冷泉帝として皇位に就かせることに成功する。 |
そして源氏は内大臣となり、 |
藤壺は国母として准太上天皇にまで昇り詰める。 |
二人は相思相愛ではなかったが、 |
藤壺は源氏にとって青春の全てであった。 |
その後十四歳の冷泉帝を残して |
三十七歳でともし火が消え入るように亡くなった。 |
源氏生涯の永遠の女性。 |
もどる |
◆葵の上 |
源氏の正妻 |
左大臣と桐壺帝の妹である内親王、大宮の一人娘。 |
才媛で皇太子(後の朱雀帝)の妃候補でありながら |
左大臣を源氏の後見に、との帝の配慮から |
十六歳で四歳下、臣下の源氏の添臥となり政略結婚。 |
しかし、障害のある恋ほど情熱的にのめりこむ |
困った性質の源氏には結婚生活は向いていない。 |
その上源氏は、結婚して初めて藤壷に対する憧れを恋の対象として、 |
理想の女性として自覚してしまった。 |
源氏二十二歳の年懐妊して、気晴らしに出かけた葵祭りで |
源氏の愛人六条御息所一行と車の立所を争い |
御息所の車を女房車の奥に押し込めると言う |
"車争い"の事件を起こした。 |
そのことで御息所を辱め、怨みを買いその後、彼女の生霊にとりつかれ |
難産の末、子供(夕霧)を産むと急死する。 |
誇り高く素直に自分の感情を表現できずに |
自我を守り通した葵の上は |
享年二十六歳だった |
もどる |
◆六条御息所 |
大臣の娘で皇太子の未亡人。 |
一六歳で東宮(桐壺帝の弟)と結婚、 |
姫君(秋好中宮)を産んだが |
二十歳で東宮と死別、二十四歳で七歳年下の源氏と恋愛関係に入る。 |
教養高く趣味深く、特にその筆跡は見事なものであった。 |
しかし誇り高く嫉妬深く、物事をつきつめて考えつめる息ぐるしさで |
源氏の足も遠のきがちになって行く。 |
御息所は源氏にのめり込み、思いつめ、身も心も燃やし尽くすが |
源氏にとっては永遠の女性、藤壺の身代わりでしかなかった。 |
もと皇太子妃がまだくちばしの黄色い多情で軽薄な少年に誘惑され、 |
すぐ捨てられるという屈辱は耐えがたく、御息所は悶え苦しむ、 |
そして熱愛ゆえの破滅へと進む。 |
彼女の理性と知性を乗り越えた激しい情念と怨念が |
源氏の正妻(葵の上)や愛人(夕顔)を生霊となって呪い殺してしまう。 |
そして死後は死霊となり紫の上を危篤に陥れ、 |
女三の宮を出家に至らしめる。 |
その後、源氏との無間地獄から逃れる為、娘の斎宮について伊勢に下向 |
そして朱雀帝から冷泉帝の代替わりの時に再び上京 |
その後、死に際して娘(秋好中宮)の後見と |
彼女を恋愛の対象にしない条件を源氏に遺言して三十六歳で亡くなる。 |
醍醐天皇の孫で村上天皇の女御となり三十六歌仙の一人にも選ばれた、 |
斎王徽子女王が六条御息所のモデルである、 |
とも言われてる。 |
もどる |
◆空蝉 |
父の右衛門督(兼中納言)は入内を望んでいたが、果たせず、死去。 |
後見を失った空蝉は老齢の受領、伊予介の後妻となる。 |
「雨夜の品定め」の翌日、 |
夫の留守中で空蝉が先妻の子紀伊守邸ヘ訪れていた時、 |
方違いに来た源氏と一夜を契る。 |
しかしその後、心惹かれつつも身のほどを意識し |
二度と源氏と会おうとしない。 |
女性に対して絶対の自信家の源氏のとって |
女の強い抵抗と抗議がかえって新鮮な情念を掻き立てられる。 |
愛を拒むことで自らの存在を示し、源氏にとって忘れがたい女性となる。 |
老夫の死後、河内守となった義理の息子、紀伊守の求愛を退け出家する。 |
晩年は源氏に二条の東の院に引き取られ平穏に暮らす。 |
老受領の後妻的立場の人妻であった事、、 |
身分意識の強い同じ中流女性として、 |
高貴な男性(空蝉と源氏、紫式部と道長又は具平親王)に |
言い寄られた事、容姿があまりよくない事などの点で |
空蝉は紫式部の自画像であったと言われている。 |
もどる |
◆夕顔 |
三位の中将の娘 |
両親と早くに死別、頭中将の愛人で娘(玉鬘)まで生んだが |
北の方の迫害にあい、頭中将にも告げず姿を隠す |
その後、五条の隠れ家で互いに身分を隠したまま源氏と結ばれる。 |
それまでの源氏は葵の上や六条御息所のように高貴の身分で堅苦しく |
決して打ち解けない姫君に緊張感で気疲れしていた |
しかし夕顔は、素性も明かさない源氏に抵抗もせずに身を許し、 |
ひたすら頼りきって素直に従う |
ある日源氏に誘われて某の院(現在の渉成園で忍び合うとき |
夜になって枕元に現れた物の怪(六条御息所?)に襲われて急死する |
源氏はなす術もなく、亡骸は人の噂にのぼることをを恐れた乳母子 |
惟光によって誰にも知らされず秘密のうちに東山の山寺に葬られた。 |
夕顔十九歳、源氏一七歳であった、 |
浮舟と並び遊女的で、娼婦性のある女性。 |
モデルは「古今著問集」に書かれている村上天皇の皇子であり、 |
光源氏のモデルになった具平親王の愛人で、 |
月明かりの遍照寺で物の怪に取り憑かれて変死した大顔か |
もどる |
◆末摘花 |
故常陸の宮の姫君 |
末摘花とは紅花(赤鼻)の異名 |
出家した変人の兄(禅師)がいるが天涯孤独 |
身分は高いが宮家は零落の一途をたどり |
目ぼしい召使いはいなくなり、屋敷は荒れ果てている。 |
源氏十八歳、琴(中国渡来の七弦琴)の名手だと聞き |
恋文を書くが返事も来ない。 |
しかし、親友で恋のライバルでもある頭中将も目を付けている事を知り、 |
先を越されてはたいへんとやっとの思いを遂げた朝、 |
源氏が見たものは、猫背で胴長、 |
普賢菩薩の白象の乗り物かと思われるほど異様な鼻が |
下に垂れてその先が赤く色づき |
額はとてつもなく広く、馬面で下半分が伸びきって見える。 |
胸は痛ましいほど痩せて骨ばり、 |
肩などは着物の上からでも痛々しく尖っている。 |
どうしてこんな姿を見てしまったのかと後悔するが、 |
滅多に見られぬものを見たもの珍しさに、ついまじまじと見てしまった。 |
その上、時代遅れで不器用で、ずれた和歌をうたい |
正月には源氏が着るわけもないセンスのない |
古びた衣装を恥らうことなく贈る。 |
しかし須磨、明石流離の間、究極の赤貧生活に耐え、 |
源氏のことを愚直なまでに信じ切って待っていた純粋さに応えて、 |
二条院の東の院に迎えられ、尼になった空蝉と一緒に |
最後まで物質的面倒をみて貰う。 |
もどる |
◆紫の上 |
藤壺のめい、正編の女主人公 |
父は藤壷の兄式部卿宮、母は按察大納言の娘 |
源氏十八歳、瘧病(今のマラリア)を患い加持祈祷を受ける為、 |
京の北山へ行く。 |
そこで幼くして母に死別し、正妻の子でなかったので |
父から離れて祖母の尼君に育てられている |
十歳の若紫と思いがけず出会うこととなる。 |
そして、永遠の理想の女性藤壷に生き写しだったため |
尼君の死後、源氏の二条院(桐壺更衣の里邸)に |
誘拐同然につれて来られる。 |
葵の上とは親同士が決めた政略結婚に始まり、 |
すれ違いの多い愛の少ない結婚生活だった。 |
その轍を踏まない為、今度は社会の慣習や利害に捕われない |
源氏と二人だけの愛の生活が始まった。 |
そこで、完全無欠何一つ欠点のない、 |
源氏にとって理想的な女性に育てられてゆく。 |
十四歳で新枕を交わし、生涯源氏からどの女性よりも愛され大切にされる。 |
自己犠牲的な精神と、源氏に対する深い愛情によって |
六条院の女主人となる。 |
しかし後ろ盾のない野合の結婚が、 |
後に女三の宮の降嫁によって |
屈辱を味合わされる。 |
もどる |
◆朧月夜 |
源氏の政敵右大臣の六の君、弘徽殿大后の妹 |
源氏二十歳、朧月夜十七歳、花宴の夜、 |
「照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の "朧月夜"に似るものぞなき」 |
と口ずさんでいる彼女に出会う。 |
ここから"朧月夜の君"とよばれる |
天皇(朱雀帝)の后たるべく育てられたが |
源氏と関係をもったため、尚侍として入内 |
そしてその後源氏の須磨退去の原因になった。 |
源氏の兄、朱雀帝の寵愛を一身に受けながらも、 |
源氏との関係を四十歳くらいまでつづける。 |
しかし、最後には帝の深い愛に気づき院の後を追って出家する。 |
情熱的で、華やかで主体性のある |
官能的な女性 |
もどる |
◆明石の君 |
前播磨の守の受領、明石の入道と明石の尼君の一人娘 |
入道と共に神技と言われるほどの琵琶の名手 |
失脚していた源氏と、娘は都の高貴な人にさし上げたいと言う |
入道の意思の元に結ばれ懐妊し、 |
明石の姫君(後の明石の中宮)を出産 |
上京して入道所有の大堰の山荘に移住 |
源氏は高麗の相人の予言を実現すべく、 |
受領階級の母では未来の皇后になるべき姫君に傷がつくと思い |
今は准太上天皇の藤壺の尼宮の姪に当たる紫の上に養育をさせる。 |
その後六条院の冬の町に住むこととなり、 |
源氏にとって紫の上に次ぐ大切な女性となる。 |
その時明石の君二十二歳、 |
三歳の娘を手放さねばならなかった悲しみと忍従の生活は、 |
十一歳で女御として入内するわが娘の後見人であり、侍女として |
宮中へ上がることによって報われ、父入道の積年の夢を実現させた。 |
その上母になることによって |
子供を産まなかった紫の上が死ぬまで味わった、 |
極楽から地獄、地獄から極楽への |
男と女の哀憐地獄からついに抜け出すことが出来たのである。 |
常に見のほどをわきまえ、忍従に耐え抜いた明石の君の生涯は、 |
当時の受領階級の夢を乗せた出世物語であった。 |
もどる |
◆玉鬘 |
夕顔と頭中将の娘。 |
玉鬘三歳の時、夕顔は源氏との密会中に頓死、 |
その後、乳母と供に九州筑紫にまで都落ちする。 |
しかし縁あって玉鬘二十二歳の時、 |
源氏の養女としてひきとられ六条院の華となる。 |
そして夏の町の花散里が後見人となり、そこに住むことになる。 |
玉蔓の聡明さと美貌が評判となり、高貴なさまざまな人から求婚され、 |
養父の源氏までもがきわどい言動に及び玉鬘を悩ませる。 |
しかし、髭黒の右大将が熱烈な思いをよせ自分のものにしてしまう。 |
源氏にとっても、玉鬘にとっても無骨な右大将は心の進まぬ結婚だった。 |
しかしその後、夫の頼もしさも誠実さもわかり三男二女を産み、 |
最後は太政大臣の北の方まで出世する。 |
薄幸のうちにはかなく死んだ母夕顔とは違い、 |
数奇な運命にもてあそばれながらも身を誤らず |
人々の称賛を受けたシンデレラ。 |
もどる |
◆女三の宮 |
源氏の正妻、源氏の兄の朱雀院の第三皇女、 |
母は藤壺の異母妹の藤壺女御、紫の上とは従姉妹になる |
葵の上の死後、「準太上天皇」にまで上りつめた源氏に |
相応しい正式な北の方がいない事と |
若い十四歳の女三の宮が藤壺の姪であるが事が源氏の心を動かし |
もう一度理想の女性に養育してみようと思い女三の宮の降嫁を決意する |
しかし盛大な婚礼の饗宴が続く日々から |
女三の宮の身も心もあまりの幼さに源氏は愕然とする。 |
一方三の宮に恋する柏木の眼には思慮浅く、 |
常識と主体性のない幼稚さも高貴な皇女の鷹揚さに映る。 |
そしてその後、三の宮は柏木と密通を犯してしまい、 |
源氏に知られる事を恐れおののき病に臥す。 |
柏木の子、薫を出産後もひたすら源氏におびえ |
自らの過失の重大さを知る。 |
そして、密通を悟った源氏の赤児と自分に対する |
あまりな底冷たさを思い知らされる。 |
そして無邪気なだけの女三の宮にできる訳がないとあなどる源氏を尻目に |
父朱雀院に直訴して出家してしまう。 |
この思いがけない事態に源氏はただよよと泣くばかり |
母を早くに失い、父院に甘やかされて育ったため |
ただ頼り無く、未成熟で、何の手ごたえないもない |
時には痴呆のように見える女三の宮の内に秘めた激しさゆえである。 |
晩年は父院から譲られた三条の宮に移り住み、 |
息子の薫だけを頼りに五十歳頃世を去った。 |
モデルは藤原道長の長女で紫式部が家庭教師を勤め |
一条天皇に十二歳で入内した頃の藤原彰子であったか |
もどる |
◆柏木 |
頭中将の長男、母は右大臣の四の君 |
後の太政大臣の父と共に和琴の名手 |
女三の宮の異母姉、更衣腹の女二の宮(落葉の宮)を妻にし、 |
美男の上に高い志を持ち、源氏にも目をかけられ、 |
やがては世の固めとなるべき才子と評されていた。 |
しかし権威主義者柏木の、皇女女三の宮への執着が |
柏木二十五歳、六条院蹴鞠の遊びで、 |
三の宮の実の立ち姿を垣間見てから、強烈な思慕へと転じていった。 |
柏木は恋の虜となり、異様に膨れあがっていく恋情に |
なす術を知らなかったのである。 |
六年後、源氏が二条院の紫の上の看病に明け暮れていた隙に |
関係を結び不義の子薫を懐妊させる。 |
そして朱雀院の五十の賀の折、そのことを指摘する、 |
時の最高権力者源氏のひとにらみによって病に臥し、 |
泡の消え入るように亡くなった。 |
しかし本人の自覚のないままに |
この世の、貴族社会の、栄耀栄華の頂点を極めた源氏を切り崩す |
唯一のすごい存在となったのである。 |
破滅の恋に殉じた悲劇の青年。 |
死に際して、親友の夕霧(源氏の長男)に |
落葉の宮の後見を託し三十三歳の短い |
生涯を終える |
もどる |
◆国宝 雲中供養菩薩 |
(登場人物背景画) |
京都の「宇治平等院鳳凰堂」に安置されている。 |
平等院は、数ある京都の寺院のなかでも |
唯一と言って良いほど |
平安期を代表する仏教芸術を一堂に集めていて、 |
当時の貴族の思いや生活の一面を |
私たちに伝えてくれる貴重な場所である。 |
光源氏のモデルの一人になったと言われている |
嵯峨天皇の第十二皇子でありながら源氏を賜って臣籍に降下し、 |
加茂川のほとりの六条に広大な邸 |
(現在の東本願寺別邸、渉成園、別名枳殻邸を営み、 |
豪奢な生活を送った河原左大臣、 |
源融(822〜895)の別荘「宇治院」をもとに |
もう一人源氏のモデルになったと言われている、 |
「この世をぞ 我が世ととぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」 |
とうたい、貴族社会の栄耀栄華を極めた藤原道長(966〜1027)と |
その子頼通(992〜1074)によって造営された。 |
もどる |